こんにちは、HappyLifeCreatorのマイです。
今日は、老いに伴う心の変化と自己認識について書きたいと思います。
冒頭は、外見と内面について赤裸々に書いており、愚痴のように思われる部分もあるかもしれませんが、自分を傍観して書いたつもりです。
40代という妙齢になると、そういう風に感じることもあるのかな? と思っていただけたら幸いです。
私と同様な体感や感情をお持ちになった方には、共感と励みになればと思います。
若い方には、人と比べず、自分らしく生きるきっかけを掴んでいただければ幸いです。
老いを感じるとは
今まであまり気にしていなかった年齢を最近急に意識させられるようになりました。
白髪は増えるし、太りやすくなるし、肌も弛む。
ちょっと走ろうとしただけで捻挫をしてしまうなど、意識とは別に外見や体感から老いを感じさせられるようになりました。
筋トレをしたり、健康的な食事をしたりしていても感じるのです。(泣)
若い子と写真を撮って、老いが露になることもあります。
だから、脳内の自分イメージと写真に写った自分の姿とのギャップを埋めてくれる写真の補正機能は必須アイテム!
でも、ありがたいことにそういう外見などの老いにも慣れてきて事実を受けれられるようになってきました。
若々しくありたいという気持ちを諦めるのではなく、事実を受け入れて対処できる、対処しようとするという感じです。
自意識やコンプレックスで心が不安定になった思春期から成人期の次は、老いを感じることで自分の在り方を見据えることを求められるような時期に入ったのかもしれません。
中年になった自分とは
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外見はさておき、老いつつある自分の状態を傍観すると、こんな人生で良いのかな?とさみしく不安に感じることがあります。
私の場合、子供を産み育てていないし、自分の生き方や働き方を模索して過ごしているだけです。
お金をたくさん持っているわけではないし、秀でた実績や特技も見当たらない。
結婚はしたけど離婚したし、恋人はできたけど遠距離になってしまい、なかなか会えない。
時間を気にせず連絡を取れる友達はたぶんいない。 (自分で心の安定を図れなかったら、連絡するかもしれませんが気軽にはできない)
フォロワー数も少ないし人気者ではない。
こんな風に自分を見つめると、自分を必要としている人はいないのではないか? と悲しく寂しい気持ちになります。
そして、寂しい気持ちになる時もあるのに、親から世間話や小言を聞かされると鬱陶しそうな態度を取ってしまう。
そんな自分を器の小さな人間だと自覚すると、さらに虚しくなります。
もう、針の筵状態。生きる価値ないやん!って自暴自棄になりそうです。
でも、いや待て!
散々、毎日幸せだと綴っていた癖に、なんだこの感情、この傍観は! です。
老いの巧妙
さみしくなったり、虚しくなったりする感情は、老いも若いもみんなそれぞれにあるはずです。
子育てをしていても、後悔したり心配したりで非力さを感じるかもしれないし、いつも仲間に囲まれていても心の内を見せれずに寂しい思いをしているかもしれません。
人はそれぞれのペースで学び、経験し、成長している。それが生きる価値じゃないのか? と思えるのです。
こんな風に自分で自分の気持ちを立て直せるのが老いの巧妙なのかもしれません。
まとめ
中年になり、人間としての機能の衰えを感じるようになりました。
外見も若い頃とは随分違います。(老いたなりにヘルシーに美しくなれますが、ここでは省略)
しかし、そんな老いを感じたことで人生の有限さを感じ、自分軸で生きねば! という気持ちが強まりました。
人との関わりにも深く感謝できるようになり、意識的に人間関係を大切にすることを心がけるようになりました。
今という時間を大切にしよう! 今の機会と状況に感謝して目の前のことをやろう!と思えるようになりました。
だから、幸せを感じているのだと思います。
まぁ、たまに負のスパイラルに入ることもありますが、その時は老いの巧妙が使えます!
結論! 歳を取るのも悪くない。これ本当だと思います。
最後まで読んでくれて、ありがとう!
そして、今日もHappyをありがとう^^
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